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社長コラム
Column

vol.43

「番外編 我故郷を想う」

世の中は今年も春を迎えました。

街では、新園児が保護者に手を引かれ楽しそうな笑顔で、新小学生は少し緊張した面持ちで保護者と歩く姿を見かけるようになりました。また、リクルートスーツを装った新入社員は、まだ本格的に職場配置がされる前で少し不安げでありながらも、大いなる夢を抱く意思が垣間見えるような気がします。毎年ある光景とは言え、とても心が癒され、気持ちが盛り上がる大好きな季節です。

焼津市の旧港に接岸された漁船
※2018年11月16日に村松光徳が撮影 焼津市の旧港に接岸された漁船 遠方に富士山が見えます。

それでは本題のコラムに移ります。

令和5年3月31日(金)に静岡県焼津市にある創業から73年間続いたクリーニング店が完全閉店しました。

そう、ここは私が19歳まで暮らしていた実家、村松クリーニング商会です。

この店は、大正10年生まれで戦争を知る頑固な父が昭和25年(1950年)に創業したもので、その後12歳年上の長兄が後を継ぎ現在に至っておりました。その兄も73歳になり店を閉めることを決断しました。

私は昭和36年(1961年)の生まれなので創業当時のことはわかりませんが、その頃は内弟子を3人抱え、また叔父(父の弟)二人も修行させていたので大所帯だったと聞いています。私が物心ついたころにはお弟子さんも叔父二人もそれぞれ独立し、自分のお店を開店させていましたので私が一緒になることはありませんでした。

Cleaning service ASUNARO
※10年ぐらい前に実家のクリーニング屋の前で撮った写真です。息子と二人で。

高度経済成長は昭和30年(1955年)から始まったと言われておりますが、私の実家もその時流に乗り、商売も安定成長ができたようです。しかし、朝から晩まで家族全員が忙しく、私も手伝いをたくさんしました。

お客様からお預かりした洗濯物をアイロンがけする朝は、父が6時に目を覚まし、すぐに店頭にあるアイロン台のボイラーに火を点け、湯を沸かします。今でいう“スチーム”を得るための準備です。そして、お店の掃除。これが終わる朝7時ごろ、家族みんなで朝食をいただきました。

クリーニング店は一年間で何度か稼ぎ時がありました。最も多くの洗濯ものをお預かりするのは花冷えが終わる5月ごろだと記憶しています。その中で特に量が多いのは「毛布」と「冬物のスーツやコート」です。私の子供時代(昭和40年代)は、まだドラム式などの家庭用高性能洗濯機は無く、また街にコインランドリーなども無いため、毛布はクリーニング店で洗うものとされていたようでした。

だから、5月は一気に毛布がクリーニング店に集まる。洗い場は毎日毎日毛布の洗濯です。そして洗い終わって仕上げをされた毛布はどんどんたまっていきます。私の実家のように家族経営の店舗では毛布を在庫する倉庫もないので必然的に毛布が家中に進出します。5月の後半にもなると私たちの寝室まで毛布が占領し、うず高く積まれた毛布に埋もれて寝ていたことを思い出します。今となっては懐かしい思い出です。

私は今こうしてトライビュー・イノベーション株式会社の社長として事業をさせていただいておりますが、その社長としてのメンタリティは少なからず子供の頃のクリーニング店の息子としての経験が大いに影響していると思います。

クリーニングの仕事は、モノを生産する仕事とは異なります。モノは材料を調達し、それを加工し、製品として販売し完結します。ある意味で一方通行です。しかし、クリーニングはお客様の持ち物である洗濯物を預かり、洗い、仕上げ・包装しお返しする。お客様から預かる洗濯物は大変多くの属性を持っています。例えば、洋服を例にとっても、超高級ブランド品、百貨店の吊るしのもの、衣料スーパーのものなど様々です。そして、素材も多品種です。素材一つで洗い方が全く違う。そして、最も重要なのは、それら洗濯物が値段の高い安いではなく、それぞれにお客様が身に着つけていた思い出、歴史、思い入れがたっぷりと含まれているということです。

したがって、洗う側も常に真剣勝負で、最高の品質でお返しするという自負をもって父も兄も仕事をしておりました。特に兄はその技術をより一層高めるために京洗いを学んでいました。結婚式場や晴れの舞台で纏う和服の洗濯です。特に白無垢などのシミなどは洗いだけでは汚れ落ちしないのでその部分だけ染めることもしていました。また、母は男性から預かったズボンの股に破れがあったり、ワイシャツのボタンがなかったりすると夜なべして直してあげている姿をよく見かけました。当然、お金は取っていませんでした。私は子供の頃からこんな家族を見て育ちました。

だから、これらのすべては「お客様からご愛顧をいただく。」ためのもので、つまり、信頼していただき、しかも継続することなのだと思っています。なぜなら、家族経営のクリーニング店は、その土地で生きる以外の方法が無いからです。

私は店がなくなり大変寂しく思っておりますが、子供の頃の経験と思い出を宝物とし、これからも現在の事業の糧にしていきたいと思っています。

それでは次に移り、トライビュー・イノベーション株式会社のいつものコラムに話を戻したいと思います。

実家が店を閉めた3月31日に第12期の第一四半期が終了しました。

年初、今年度の売上高目標は、12億7千5百万円とし、従業員も100人体制を目指したいと申し上げました。この第一四半期の実績は、売上高3億2千3百万円で、年間達成率は25%で順調の滑り出しとなり、従業員も増加し現在85名が在籍しております。

また、今年は7月に新オフィスへの移転も計画しており、成功に向け準備を進めているところであります。

最後に、弊社の今年のモットーは「ICTに温故知新を」です。レガシーも、DXも両方チャレンジするという意味があります。そして、信条である「自己、会社、そして社会に貢献する」を企業価値の中心におき、これからも社員とその家族、そしてご支援をいただくすべての皆さんが健康で躍動され、お客様に最高のサービスをご提供できるように努力と改善を継続してまいります。

これからも多くの皆様からご高配を賜りますことをお願い申し上げます。
そして皆様の更なるご健勝とご発展を心よりお祈りいたします。
ありがとうございました。

以上

2023年(令和5年)4月13日
トライビュー・イノベーション株式会社
代表取締役社長 村松 光德